幽霊は実在するか?

この質問にどのように答えるでしょうか?

 

多くの人は「実在する」「実在しない」の2択だと考え、中には「絶対に実在する!」「絶対に実在しない!」と自信をもって考える方もいるでしょう。私はこれに問題意識を持っています。

今回は、物事をどう捉え、考えるべきか、という話題です。

こんな風に物事を断定的にみてしまうことは、偏見、思い込み、決めつけといった要素が入り込でしまうことになります。最大の問題は、消しこんでしまった可能性に対する思考が行われないという点。「絶対に実在しない」と言い張っている人に「実在したとしたらどうする?」と聞き返してもまともな答えは返ってきません。なぜなら思考放棄しているからです。これはとても勿体ないことです。

 

1+1=2である、こういった論理上の事象については断定が可能ですが、世の中の事象、自然現象には100%と言い切れるものはほぼありません。科学的根拠を論じたがる人もいますが、科学を多少なりともかじった人であれば、科学は世の中の事象の補足程度にしか意味がないということを理解していると思います。現時点で科学が説明できている自然現象はごくごく一部でしかないし、現在信じられている物理法則などの根拠は、将来覆える可能性だってあります。

 

意地悪に聞こえるかもしれませんが、最も適切な考え方は「実在する」かもしれないし「実在しない」かもしれない、だと考えます。さらに私の脳の中は、「実在する可能性98%」という「自分の中での確からしさ」をプラスした格好で捉えています。

 

宝くじは当選者が必ず居るのを知っていても、「絶対に当たらない」といいますよね。そうではなくて「当選確率0.00001%で当たる」と考える。これは思考の癖の話ですが、断定、決めつけ、思い込みは色々な面で損をします。仮に言葉に力があって、脳内イメージに現実を創りだせる力があるとしたらですが、 「絶対に当たらない 」と思考・発声したことによって、当選しない現実を自分で創りだしている可能性があるわけです。信じようが信じまいが、その可能性が0%とは言い切れないのです。だとしたら勿体ない、損した!と思いませんか?

幽霊の話に限らず、断定できないが可能性がある事象は山ほどあります。

・魂の世界は実在するか?
・言葉に力はあるか?(=言霊)
・脳内イメージが現実を創りだせるのか?
・自分の未来を自身でコントロールできるか?
・自分が神(的存在)になれるか?

ありえないと思いますか?これらが一つでも真実であれば、生き方が一変するくらいの話ですよね。皆さんを説得しようとは思っていないので、ここでは論拠は割愛しますが、私は上記すべて50%以上の確率で事実だと思っています。

 

「魂の世界はない」と決めつけて生きる人と「魂の世界があるかもしれない」と思って生きる人。どちらが良い(得する)生き方ができると思いますか?私はいつも思います。「魂の世界はない」と決めつけて生きる人にメリットはあるでしょうか?私は損得勘定、得をする考え方を好みますし、推奨します。(得と言っても金銭面ではありませんが)

デジタル化が進む現代ですが、世界はアナログであり、世界の理は未知で溢れています。物の見方がデジタルになってはいけません。「善い人だと思っていたのに、悪事を働くなんて信じられない…」人を善悪いずれかに2分できるわけはないのに、我々は無自覚な思いこみの習慣に浸っていますよね。周りに流されず、あらゆる可能性を無視せず向き合って、どちらの可能性にも思考を巡らす。こういう思考の癖をつけることで、よりお得な生き方ができると思いませんか?