母親や上司が子供さんや部下を叱咤する場面で、よく耳にするこのフレーズ。

「なんでこんなこともわからないの?」

「なんでできないの?」

 

私はこれって、非常に恥ずべき発言だと思うのです。その理由は2つ。

 

1.なぜ分からないかを考えるのは、指導(教育)する側の責務です。

それまでの教え方ではうまく理解させられないことを認識し、分からない理由を分析し、やり方を変えて指導する必要がある。理由を本人に聞くなどという行為は職務放棄だと思うわけです。

2.自分より上のステージのことは理解できないのが普通です。

理解できない理由を本人が判るわけがない。経験が浅い人・能力が低い人が理解できるような工夫が必要。

***

この2つ目の理由に関して、私の昔話を紹介します。

私は学生時代、ベースギターに夢中でした。TV等から流れてくる音を片っ端から耳コピして演奏していたため、どんなフレーズでも耳コピできる自信をもっていました。

しかし、そのしばらく後、弦を叩いたりはじいたりするスラッピングという奏法に憧れたのですが、そこで大きな壁にぶち当たりました。音は聴こえているのに耳コピができなかったのです。

通常のピック奏法あるいはツーフィンガー奏法のベース音は、ボンボンボーンと均一な音の羅列ですが、スラッピングは、ドペドペドドドンズイットベコンベコンと、摩擦音、破裂音のようなものまで混じり、ベースの音は確実に聴こえているのに、運指がサッパリ読み取れない。耳コピ出来ないことに衝撃を覚えました。

それでもどう弾いているのかをひたすら想像する。音を聴き比べながら、試行錯誤で弾き方を探していきました。こうやって弾くのか!と少しずつ、正解の奏法が導き出せた直後、第二の衝撃がありました。

音が急にクリアに聴こえるのです。弦を弾く指の動きを想像できたことで聴こえたという意味では「見えた」という表現が適切かもしれません。

その日以降、演奏方法の解釈が進むにつれ、何もないと思っていた隙間の音も、より細部まで聴こえるようになっていったのです。

これらの体験から、自分のステージより上のものは見えていないものだな、ということを学びました。自分を高めることで今まで見えなかったものが見えてくる。何かを極めたことががある人は、まだ見ぬ領域の存在を知っている。つまり、全部見えているとか、全部理解できていると思って(言って)いる人は、逆に極めたことがない人だということが判ります。

***

この言葉は、何も考えず指導し、指導者や親として責任をもっていないことを言いふらしているようなものだと私には思えます。

 

経験が浅い人は、経験を積んだ人と同じ感覚で物事を認識できるわけではありません。ご自身の若かりし頃のモヤが掛かったような感覚を思い出してください。

 

下のステージに居る人には、先人として愛をもって目線を合わせた助力ををする。

自身もまた、まだ見ぬ上のステージがあることを忘れず、慢心せずに上をみる。

 

感情に任せた叱咤は卒業したいですね。