富士山に登頂したことがありますか?

私は3度ほど登頂したことがありますが、毎度毎度、高山病で涙目になりながらの苦しかった思い出が強烈に残っています。下山直後は、こんなしんどい経験は二度とごめんだ~くらいに思うのですが、しばらく経つとなぜかまたいつか登りたいと考えている自分がいます。大変だけど達成感と景色は最高だ(また登りたいたい)と思う方と、しんどいのになぜ登るの?と思う方、性格的に大きく分れますよね。

そこで皆さんに質問です。

平坦な道と凸凹道。2本あればどちらを通りたいですか?

野生動物は100%、平坦な道を選ぶでしょう。

生物学的に、動物は「変化を嫌う」という性質を持っています。可能な限り平穏で何事もなく、今の状態を継続したいという欲求、学術的には「ホメオスタシス(恒常性維持機能)」と呼ばれています。これは潜在意識に刷り込まれている本能ですから、そう感じてしまうのは自然な感情といえます。

一方で、ヒトの場合は、平坦な道より凸凹の道を選ぶ人が少なからず存在します。

ヒトは、凸凹な道のほうが足腰が鍛えられる、難しいものにチャレンジしたい、達成感を感じる、といった考えをすることができます。これらはいずれも、自身の成長や喜びに繋がる、動物にはない高次の欲求です。私もどちらかというとコチラ派。平坦な道しか歩いたことがなければ、ちょっとしたあぜ道でも怪我をするかもしれません。もちろん疲れた時には平坦な道を選びますが、元気がある時には凸凹道を選んでみたいという気持ちを確かに持っています。

動物とヒトの違いはどこにあるのでしょうか。

人間は道具を使えるとか言葉が使えるとか、様々な説明がありますが、私が思う最も重要な差異は「先の目標に向かって行動ができる」という点だと考えています。

 

実はここからが本題です。

凸凹道と、平坦な道、これを「人生」に置き換えて考えたとき、あなたはどちらを選びますか。

波風を避け、安全なかりを選んでいると、平穏な生き方が出来るかもしれません。最悪な事態もありませんが、何も起きない人生のなかで夢が勝手に実現する道理はありません。ちょっとした変化にも免疫がなく、躓いてしまうことでしょう。アニメの主人公を考えてみてください。危険な状況にも果敢に飛び込んでいくからこそ、大きな成長が遂げられるわけですよね。

ヒトは、自身の未来に夢を持つことができる唯一の生物です。何かを得ようとするならば、あるいは夢を実現しようとするならば、リスクを背負う覚悟が必要であり、自らを鍛え成長させる必要があることを理解できるのです。超絶苦しい登頂でも、乗り越えた者だけが観られる絶景があることを知っているのです。

道の選択は自由です。

疲労困憊した心身に鞭打ってさらに険しい道に挑むのも自由ですが、自身の大切さを知り、心身を労わることも大切です。しかし一方で、本能的欲求に任せ、変化を嫌い、現状維持に甘んじてばかりいると、未来の夢や目標は決して近づいてくることはありません。

ヒトだけが凸凹な道を自ら進んで選ぶことができるということを念頭に置きつつ、凸凹と平坦とを意志を持ってバランスよく選択していくことが、人生の成長効率を最大化する重要ポイントではないでしょうか。