先日、お世話になっているサハラ夢美術館(横浜市にある私設美術館)にて、生徒さんの作品展を鑑賞してきました。素晴らしい作品たちに大いに楽しませていただきました。そこには沙原秀先生の作品展示もあるのですが、それを観ていたお客様からこんな会話が聞こえてきました。

「この絵っていくらくらいの値段が付くものかしら…」
「亡くなった後に価値が上がるともいうしね~」

皆さんどう思われますか?この世は金、金、金、と言われるように、殆どの場合、「モノの価値」といえば金額のことを指しますよね。金額がついていないものの方が少ないご時世です。今回は、あらためて「モノの価値」とは何かを考えてみたいと思います。

まずは一般論として、モノの価格がどうやって決まるかを考えてみましょう。小売業、個人事業の方ならばご自身で値付けされているかと思いますが、会社勤めだと価格決定に携わったことのある方は少ないのではと思います。一般論として、価格の決め方は大きく以下の3種類に分けられます。

(a)消費者が期待する価格で決める(需要者視点で決める)

(b)原価+利益で決める(供給者視点で決める)

(c)市場の相場で決める(他者と比べて決める)

商品分野や販売手段毎に特色はあるかと思いますが、大抵のものがネット経由で購入できる昨今は、(c)の割合が高くなっていると思います。

皆さんが商品を購入する際、頭の中で何と比べて高い安い、買う買わないを判断しているでしょうか?他の店より安いから買おう、とか、今セールで普段より安いから買おう、というケースもあるかと思います。

しかしここで忘れてはならないことは、

・価格=価値ではない
・価値とは人によってまちまちなもの

という点です。価格というのはあくまで流通のための指標であって、供給者が(a)(b)(c)いずれかの方法で決めている数値でしかありません。つまり、ものの価値を示しているわけではないのです。さらに重要なことは、そもそも価値があるかどうかは、人によって変わるものだということです。価格とは自分以外の他者(あるいは市場)が決めたものにすぎません。

 

ピンとこない方もいらっしゃると思うので、例を挙げましょう。

仮に、何百億円という価格がついているピカソの絵が1,000万円で破格のセールをしていたとしましょう。あなたは買いますか?転売用途ではなく、あくまで自身のために欲しいかを考えてみてください。普通は買いませんよね。よほど絵に思い入れがある人か、お金が余って仕方無い人くらいしか買わないと思います。つまり、例え何百億円の値がついているものであっても、あなたにとっては1,000万円ほどの価値もないというわけです。

 

通貨システムには多大な恩恵を受けていますが、一方で、他人任せの価値判断が当たり前になってしまい、自分にとっての価値を考えないことが多いように思うのです。我々のモノの価値を見る目が衰えている気がするのです。

 

世の中から通貨が消えた世界を想像してみてください。
私は、人類が進化すると、いずれ貨幣システムはなくなると思います。(「美しき緑の星(仏:1996)」というの映画でもそんな設定でした。)そうなったら、あなたは何をどう判断して取引しますか?価格がないものに対して、他人を頼らず、ネットにも頼らず、あなた自身での価値判断ができるでしょうか?美術館で出会ったあのお客様は、きっと困るでしょうね。絵の価値を値段でしか認識できないのですから。

 

私は18年ほど前に、50万円近くする掃除機を購入しました。他人に言うと、騙されてるのでは?と心配されるかもしれません。しかし私は製造業出身の(元)エンジニアであり、工業製品の原価は想像できます。それを踏まえても高価であることは承知の上で、それでも私にとって価格に見合う価値があると判断して即決したのです。後悔どころか非常に良い買い物をしたと思っており、今でも愛用しています。

要らないものなのに、安いからという理由で買ったりしていませんか?
違いも判らないのに高いものの方が良いと思いこんでいませんか?

これらも同様の課題を抱えていると私は思います。

 

モノの価格や他人の評価に振り回され過ぎていませんか?
価値とは自分だけのものであり、自身にとって何が価値あるのかは、自身で見極め判断するべきものです。

これを常に怠らず、目が曇らぬよう鍛えておくことが大切だと私は思います。